赤烏(せきう)は、呉の大帝孫権の治世に行われた元号。238年 - 251年。
及び中国の伝説に登場する「太陽の中にいる三本足の烏」と言う意味で、日本では八咫烏に相当する。日本書紀にも登場し、持統6年の秋7月に「與獲赤烏者鹿嶋臣櫲樟」と、捕らえたことが記されている。
日本では、兵庫県宝塚市の安倉高塚古墳や山梨県市川三郷町の鳥居原狐塚古墳から赤烏の元号を持つ神獣鏡が発見されている。
出来事
- 元年8月:瑞兆により嘉禾7年を赤烏元年と改元。
- 4年:皇太子孫登が死去。
- 5年:三男の孫和を立太子、四男孫覇を魯王に封じた。孫和と孫覇の後継者争いが始まる。
- 13年:七男の孫亮を立太子。
- 14年5月:太元と改元。
西暦・干支との対照表
他元号との対照表
参考文献
- 『三国志』(中華書局 1974年)
- 『中国歴代年号考』李崇智(中華書局 2004年)
関連項目
- 元号一覧 (中国)



