沓切坂(くつきりざか)は東京都多摩市関戸6丁目にある坂である。新田氏に纏わる史跡のひとつであり、『江戸名所図会』にもその名が見える。

歴史・概要

旧鎌倉街道の坂下バス停付近から旧関戸公民館方面に上る古道を沓切坂という。かつては幅2メートル程の急坂の砂利道であったが、1973年に拡張・改修工事が行われ、坂の傾斜もやや緩やかになった。このため、往時の面影は薄い。

現在の道が古い道筋を踏襲したものかどうかは定かではなく、元多摩市議会議員・同市議会議長の酒井宗一郎は、その著書『多摩市の郷土史』の中で、「本古道は現在の道よりももっと東側の崖上にあったと伝えられているが判らない」と述べている。また、岡崎清記『今昔 東京の坂』では「現存しない坂」として紹介されている。

名称の由来

沓切坂の名称の由来には、主に2つの説がある。1つは新田義貞が1333年(元弘3年/正慶2年)、分倍河原の戦いの時に、この急坂を登るところで馬の沓が切れたことに由来するというもの。もう1つは新田義興が1352年(正平7年/観応3年)、鎌倉から足利尊氏を追った時に、この坂にかかったところで馬の沓を取り、裸馬を飛ばしたことに由来するというものである。多摩市の郷土資料には両説が併記されていることが多い。

関戸出身の文化人・相沢伴主が1819年(文政2年)から1836年(天保7年)にかけて著した『関戸旧記』とその草稿には次のように記されている。

『江戸名所図会』の「巻之三 天璣之部」には次のように記されている。

郷土史家の見解・地元の伝承

菊池山哉は、「沓切坂は急坂なので、馬の沓が切れるので名づけられたと称し…」と述べるにとどまっている。関戸在住の男性(大正8年生まれ)は、パルテノン多摩編『関戸合戦』の中で、沓切坂の道は尾根を切り開いて造られたものと語り、「沓切りか、口切りか、どっちかのことだな」と語っている。

伝説・芝居

1840年(天保11年)に書き写された古記録『両和田村古今鏡』によれば、江戸時代初期の頃、上和田の領主・山中七左衛門が沓切坂で闇討ちに遭って殺害されたという。この出来事は村中を騒がせ、やがて「和田騒動」という芝居になった。

論考

府中市郷土の森博物館副館長の小野一之は、パルテノン多摩編『関戸合戦』の中で、『太平記』をベースにして創られた伝説地として沓切坂、白明坂(府中市武蔵台・北山町)、浅間山(府中市浅間町・若松町)、松連寺(日野市百草)などを挙げ、「当地が『太平記』に描かれる古戦場だったという認識を前提に、塚や丘やその他いろいろな視覚的に映る事物が総動員されて、『太平記』の小劇場がパノラマとして作られているのである」と述べている。

企画展

2006年11月30日から2007年3月12日まで、パルテノン多摩歴史ミュージアムにて企画展『多摩ニュータウン・坂物語』が開催された。この企画展は多摩ニュータウン近辺の坂と人々とのかかわりを考えるというもので、会場では、沓切坂の名称の由来を紹介するパネルなどが展示されたほか、地図や由来が記された「さ・カード」が配布された。

さ・カード

全10枚、はがき大。表面に所在地、地図、現在の様子を写した写真、裏面に由来、参考写真などの情報が記載されている。

  • 沓切坂 - 裏面に参考として馬の沓の写真が掲載されている。
  • 諏訪坂 - 馬引沢1丁目。連光寺から諏訪神社に至る道の途中にある。
  • 長坂 - 鶴牧3丁目〜町田市小野路町。『新編武蔵風土記稿』にもその名がある。
  • 南の坂 - 諏訪3丁目。馬引沢の南に位置していたことから、その名が付いたといわれる。
  • 別当坂 - 落合2丁目。「べーとのさか」と読む。名前の由来は小山田別当有重からきているという説と近隣にある東福寺が落合白山神社の別当寺であったことに由来するという二説が伝えられてきた。
  • 山の婆坂 - 東寺方。坂名はこの坂の下に住んでいた老婆に因むといわれる。
  • 極楽の坂 - 聖ヶ丘3・4丁目と諏訪4丁目の間。この近辺はかつて極楽と呼ばれていたという。
  • 餅屋の坂 - 諏訪3丁目〜聖ヶ丘2丁目交差点付近。近隣に餅屋という屋号の家があったことから、その名が付いたといわれる。
  • コロゲット坂 - 貝取。この坂の下には処刑場があったといわれ、引っ張られる罪人の姿がまるで転がるようだったと語り伝えられている。
  • へっぴり坂 - 東寺方。坂を上るときに大きな屁をした者がいたことから、その名が付いたといわれる。

周辺

坂の中程まで上ると、右手に庚申塔への小さな階段が見えてくる。この庚申塔の型式は板状駒型で、銘文には「西念寺・三左ェ門・権右ェ門・伝兵衛・○兵衛・角左ェ門・惣右ェ門・佐五右ェ門・庄右ェ門」とある(○は判読不能)。坂を上りきると、直進か右の分岐になる。右手(市役所東会議室棟方面、旧関戸公民館裏)のケヤキの下には第六天を祀る祠があり、その向いに忠魂碑と石碑がある。直進すると左手に市役所東庁舎と第二庁舎があり、正面に市役所本庁舎が見えてくる。この辺り一帯は古市場(「ふるいちば」と読む)といい、室町時代末頃、市が開かれた所という。『関戸旧記』の「古市場之事」にも「右沓切坂ノ上ヲ、今、小名古市場ト云フ、古、市ノタチタル處ナルベシ」とある。一方、坂を下ると、京王バスのバス停「坂下」に出て、更に進むと、霞ノ関南木戸柵跡(東京都指定文化財)や熊野神社が左手に見えてくる。バス停「坂下」の停名は、沓切坂の下にあたることに由来する。

合戦関連伝承地

沓切坂の周辺には関戸・分倍河原合戦に関わる伝承地が複数存在する。

鐘懸松
徳ヶ谷戸にあった松。義貞が北条軍を攻めるときに陣鐘を取り付けて進軍・退却の合図をしたという説や、北条軍を追いやった義貞がそれまでの進軍の疲れを癒すために陣鐘を吊るして休息を取ったという説がある。なお、この鐘は乞田の吉祥院のものと伝えられている。
鞍懸松
琴平社境内にあった松。義貞が鞍を懸けたという伝説がある。
弦巻橋
乞田交差点付近を流れる小川に掛かる橋。義貞が弓の弦を外して小休止したとも、北条勢が弓弦を巻いて逃げたとも伝えられる。現在は暗渠化されている。
八郎塚
北条軍のしんがりを務めて戦死した横溝八郎の墓。関戸古戦場跡近くの個人宅の庭先にある。
入道塚
横溝らと共に戦死した北条軍の安保入道父子の墓。関戸5丁目の個人宅の庭先にある。
無縁仏
関戸合戦で戦死した無名戦士の墓と伝えられる石塔。京王バスのバス停「関戸」そばの石段の上にある。
笛吹峠
乞田(現・豊ヶ丘)の吉祥院の裏山を唐沢山といい、義興(義貞とする説もある)がこの山の尾根道を笛を吹きながら通ったことから、笛吹峠ともいう。
旗巻塚
関戸の小地名。北条軍が旗を巻いて後方に退却したところという伝説がある。
鞘井戸(三家井戸)
小野路町の小地名。義貞がこの水で刀を研いだという伝説がある。
どうよう塚
和田の伝承地名。雑兵の死体を寄せ集め、数か所に分散して埋めたという。

関連事業・行事

  • 1988年5月15日、「多摩市史談会」の主催による見学会(第41回見学会、案内者・比留間一郎)が開催された。
  • 2011年10月30日、多摩市市制施行40周年記念市民協働事業として、鎌倉時代の史跡を訪ね歩く『鎌倉街道「関戸・霞ノ関」まつり2011』が開催された。

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 「落合村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ97多磨郡ノ9、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763989/61。 
  • 斎藤長秋 編「巻之三 天璣之部 沓切坂」『江戸名所図会』 2巻、有朋堂書店〈有朋堂文庫〉、1927年、428-429頁。NDLJP:1174144/219。 
  • 菊池山哉『東国の歴史と史跡』東京史談会、1967年
  • 石川悌二『東京の坂道』新人物往来社、1971年
  • 多摩石仏の会編『多摩石仏散歩』武蔵書房、1971年
  • 鈴木棠三・朝倉治彦校註『新版江戸名所図会 中巻』角川書店、1975年
  • 松岡六郎・吉田格編『多摩の歴史 7』武蔵野郷土史刊行会、1975年
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編『角川日本地名大辞典 13 東京都』角川書店、1978年
  • 多摩市教育委員会編『多摩市の石仏』多摩市教育委員会、1978年
  • たましん歴史・美術館歴史史料室編『多摩のあゆみ 第17号』たましん地域文化財団、1979年。ISSN 0913-9680
  • 井上正吉『多摩のかたりべ』自費出版、1979年
  • 岡崎清記『今昔 東京の坂』日本交通公社、1981年
  • 伊佐九三四郎・檀上完爾『各駅停車 全国歴史散歩 13 東京都 下』河出書房新社、1982年
  • 多摩市史談会編『郷土たま 第2号』多摩市史談会、1983年
  • 峰岸松三『多摩のふるさと 風土記図絵』多摩書店、1983年
  • 多摩市史談会編『郷土たま 第5号』多摩市史談会、1986年
  • 多摩市教育委員会社会教育課・佐伯弘次編『杉田勇家所蔵文書 1』多摩市教育委員会、1987年
  • 多摩市史談会編『郷土たま 第6号』多摩市史談会、1988年
  • 安田武義『趣味の古道』自費出版、1988年
  • 多摩市教育委員会社会教育課編『多摩市の文化財ウォッチング(解説編)』多摩市教育委員会、1989年
  • たましん歴史・美術館歴史史料室編『多摩のあゆみ 第55号』たましん地域文化財団、1989年。ISSN 0913-9680
  • 峰岸松三『落合名所図絵』多摩書店、1989年
  • 横倉愛『中澤閑想記 2』新人物往来社、1990年
  • 多摩市都市整備部都市計画課編『多摩市の町名(市政施行20周年記念)』多摩市、1992年
  • 多摩市史編集委員会編『多摩市の民俗 信仰・年中行事』多摩市、1993年
  • 府中市郷土の森事業団編『合戦伝説 新田義貞と分倍河原合戦』府中市郷土の森事業団、1994年
  • 多摩市史編集委員会編『ふるさと多摩 多摩市史年報 第6号』多摩市、1994年
  • 佐藤孝太郎『多摩歴史散歩 1』有峰書店新社、1995年
  • 斎藤幸雄ほか『江戸名所図会 中』評論社、1996年、ISBN 4-566-05264-8
  • 酒井宗一郎『多摩市の郷土史に関する年表 平成8年(1996)まで』自費出版、1999年
  • 『i(あい)多摩がすき(製本資料) 2000 Vol.18 - Vol.29』多摩ライフ&ワーク研究所、2000年
  • 道家剛三郎『東京の坂風情』東京図書出版会、2001年、ISBN 4-434-00689-4
  • 宮田太郎『鎌倉街道伝説』ネット武蔵野、2001年。ISBN 4-944237-06-5。 
  • 酒井宗一郎『多摩市の郷土史 改訂 上巻』自費出版、2002年
  • 『ゼンリン住宅地図 多摩市 2005』ゼンリン、2005年、ISBN 4-432-21375-2
  • 多摩市教育委員会生涯学習部生涯学習推進課編『多摩市の文化財案内(地図) 改訂版』多摩市教育委員会、2006年
  • 多摩市文化振興財団編『多摩ニュータウンとその周辺のさカード パルテノン多摩歴史ミュージアム』多摩市文化振興財団、2006年
  • 『東京新聞』2007年2月3日付朝刊、多摩版、24面
  • パルテノン多摩編『関戸合戦』パルテノン多摩、2007年
  • パルテノン多摩編『校歌の風景』パルテノン多摩、2008年
  • パルテノン多摩編『村医者と医者村』パルテノン多摩、2008年
  • 多摩市企画政策部広報広聴課編『多摩市の便利な本』多摩市、2009年

関連項目

  • 関戸
  • 分倍河原の戦い
  • 関戸の戦い

外部リンク

  • パルテノン多摩歴史ミュージアム - 多摩市立複合文化施設(パルテノン多摩)公式ウェブサイト
  • 東京多摩・坂リスト - 坂学会公式ウェブサイト


切通坂

庚申坂

坂集

石坂

越切峠(腰切峠、越切坂、腰切坂)