ハワード・アール・アベリル(Howard Earl Averill, 1902年5月21日 - 1983年8月16日)は、アメリカ合衆国ワシントン州スノホミッシュ出身のプロ野球選手(中堅手)。右投げ左打ち。
現役時代の背番号は『3』。ニックネームは"Rock"、もしくは名前にひっかけて、"The Earl of Snohomish"(スノホミッシュ伯爵)とも。実働13年ながら、現インディアンスの打撃部門の球団記録をいくつも保有している。息子 (アール・アベリル) もMLBのプロ野球選手だった。
経歴
1929年に、パシフィック・コーストリーグのサンフランシスコから、クリーブランド・インディアンスに入団。デビューは27歳と遅かったが、1年目から初打席初本塁打の衝撃的デビューを飾ってほぼ全ての試合に出場、打率.332、198安打を記録する。デビューから最初の6年間打率3割を維持、1931年には初めて最優秀選手 (MVP) の候補にもなった。
1933年、この年から始まったオールスターゲームに出場。第1回から6年続けて出場した外野手は、アベリルのみである。1937年のオールスターゲームでは、相手投手ディジー・ディーンの球を強烈なライナーではじき返し、ディーンが爪先を骨折するというエピソードもある。
また1934年には、全米選抜チームの一員として、ベーブ・ルースらと共に来日している。同年11月8日、北海道函館市で行われた全日本選抜チームとの対戦では、先発の青柴憲一から満塁ホームランを放っている。
1936年、アベリルは232安打、打率.378と、キャリア最高の打撃成績を残す。安打数はリーグ最多、打率は同年首位打者となったルーク・アップリングに次いで2位だった。インディアンス在籍時に、チームは一度も優勝争いをすることはなかったが、1939年シーズン半ばで移籍したデトロイト・タイガースが、翌1940年にアメリカンリーグを制覇、アベリルは38歳で初めてワールドシリーズに出場する。が、結果は3打数ヒットなしに終わった。1941年にブレーブスと契約したが、わずか8試合に出ただけで同年現役を引退する。
1975年、ベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出されたが、アベリル本人は
と現役引退後語っていたという。実際に殿堂入りした1975年、アベリルは73歳の高齢だった。
殿堂入りを記念し、古巣インディアンスはアベリルの在籍時の背番号『3』を同年永久欠番に指定している。
尚2022年現在、初打席初本塁打を記録した上で殿堂入りを果たした唯一の野手である(投手を含めるとアベリルの他にホイト・ウィルヘルムがいる)。
1983年ワシントン州にて死去。
詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
- 「-」は記録なし
- 通算成績の「*数字」は、不明年度がある事を示す
獲得タイトル・表彰・記録
- 最多安打:1回 (1936年)
- ワールドシリーズ出場:1回 (1940年)
- オールスターゲーム出場:6年連続6回 (1933-1938年)
- サイクル安打:1回 (1933年8月17日)
- 2016年シーズン終了時アブリルが持っているインディアンス球団記録
- シーズン得点数:140 (1931年)
- 通算打席数:6712
- 通算得点数:1154
- 通算打点数:1084
- 通算長打数:724
- 通算三塁打数:121
- 通算塁打数:3200
脚注
関連項目
- メジャーリーグベースボールの選手一覧 A
- 親子のメジャーリーグベースボール選手一覧
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- Baseballhalloffame.org(英語)– アメリカ野球殿堂(National Baseball Hall of Fame)による紹介



