上杉 宗憲(うえすぎ むねのり)は、江戸時代中期の大名。出羽国米沢藩6代藩主。山内上杉家22代当主。

経歴

5代藩主・上杉吉憲の長男として誕生した。生母は側室・山中氏(祥寿院)。

『上杉家御年譜』では正徳4年(1714年)正月12日生まれとし、『寛政重修諸家譜』では宝永6年(1709年)としているが、前者の方が有力である。享保7年(1722年)5月1日の父・吉憲の死により、同年6月18日に家督を継ぐ。叔父で米沢新田藩主の上杉勝周が後見する。翌享保8年(1723年)11月11日に元服し、8代将軍・徳川吉宗の偏諱を受けて宗憲に改名した。従四位下・侍従兼弾正大弼に叙任される。

享保15年(1730年)頃より、清野秀佑が台頭してくる。享保18年(1733年)に幕府から江戸城普請の任を命じられ、領内に臨時の御用金や家臣の俸禄を貸し上げて調達して対応、藩財政の窮乏がさらに進んだ。なお、享保19年(1734年)5月初旬に病に倒れ、同年5月13日に米沢にて死去した。享年22。墓所は米沢市。嗣子が無かったため、弟の宗房が末期養子として跡を継いだ。

系譜

  • 父:上杉吉憲
  • 母:山中氏
  • 正室:整姫 - 山内豊隆の娘
  • 養子
    • 男子:上杉宗房 - 実弟

参考文献

  • 『三百藩藩主人名事典 第一巻』新人物往来社。
  • 横山昭男『上杉鷹山』吉川弘文館。

外部リンク

  • 『上杉宗憲』 - コトバンク

CAST&STAFF イケメン戦国 THE STAGE 〜連合軍VS“戦乱の亡者”雑賀孫一編〜

歴史の目的をめぐって 上杉憲実

企画展「上杉家の古写真」 展示資料のご紹介 3 :置賜文化フォーラム|CULTURE for your Life -暮らしに文化を-

上杉謙信公以来の名門上杉家は改易の危機に直面する | ゴールドライフオンライン

上杉憲政 pixiv